「MISSION−4」

 

「ドサッ!」

物音に振り返ったおいらの心臓が3cmばかり飛び出した。

土砂降りの雨で一面田んぼ状態の廃車置場。その外れに出来た血の池地獄のような水溜りの中で沙世子が白いレインコート姿で倒れていたからだ。

「もぉ!こんな熱で雨の中に飛び出していくなんて、あんた本当にばっかじゃない!?正気じゃないわよ!肺炎になったらどうすんの?あたしはねぇ名医でもなんでもないの。ただの町医者なんだから、あんまり迷わせないでくれる?バカにつける薬ってないのよ!」

緒方真紀さん。

沙世子の亡くなった母親の妹。つまり沙世子の叔母さん。今年からこの町で開業医となった。口は悪いが(といっても七瀬叔母さんほどじゃない)腕は確かだ。本人は否定しているが・・・。

蚊の鳴くような声で

「だって・・。あ〜るの訓練って私の責任だし・・・。」

とつぶやく彼女の胸に問答無用で聴診器をあてながら

「ほら、さっさと服脱ぐ!」

と厳しい声。

おいら診療所の待合室で診察が終わるのを待ちながら、聞くともなしに二人の会話に耳を傾ける。

あれからおいらは一目散に緒方家まで駆け帰って、驚く七瀬さんと一緒に毎朝訓練している裏山の外れの廃車置場まで取って返した。

幸いその頃には沙世子も意識を取り戻して、ふらふらと帰り道を戻ってきていたから途中で行き会い、その足で真紀さんの診療所まで車を走らせ本人を叩き起こしたのだった。

診察が終わり沙世子と真紀さんが待合室に出てきた。

「悪いね、真紀。朝早くから叩き起こして。で、どう?」

さすがに心配そうな七瀬さん。

「風邪ね。疲労が溜まって抵抗力落ちてるから二、三日ゆっくり休むこと。それと栄養を十分取ること位かな?点滴しといたから夕方様子を見に行くわ。肺炎起こさないよう注意してね。」

沙世子に優しく

「何でも一人で背負い込んじゃうのは姉さん譲りね。年取るほどに似てくるわ。でもね、命あってのことよ。ちょっとはゆっくり休みなさいね。」

「真紀。じゃあ夕食用意しとく。ついでに父さんと母さんの薬も持ってきて。」

「了解」

「こらぁ!あ〜る。駄目でしょうが、部屋まで入ってきちゃ。沙世子の風邪が移るよ。」

七瀬さんに追い出されて土間のいつもの定位置に座ったものの、どうも気分が落ち着かない。

外は朝までの土砂降り豪雨からしのつく小雨にに変わっている。ジメジメと湿気がして、熊本はすっかり梅雨だ。春と夏の間の五番目の季節。

やっぱり彼女の傍にいよう。昼になって七瀬さんが外に仕事に出て行くと、おいらはこっそりと沙世子の部屋のドアを鼻と口を使って開け入った。

外のジメジメした空気と違って部屋の中はエアコンが効いててさっぱりしている。片隅のベッドの中。彼女はひとり青白い顔をして夢にうなされていた。

「んんん・・ん」

何かに対して抵抗しているのか、必死に寝返りを打っている彼女の頬に鼻をくっつけてそっと舐めると、落ち着いたのか寝息を立てて浅い眠りの世界に入っていった。ベッドの傍らに体を横たえ、頭を前足に乗せる。

窓の外では規則的な雨の音。時折遠くの方で車が通り過ぎる他は本当に静かな昼下がり。

おいらも沙世子と一緒に何時の間にか夢の世界に取り込まれていった。

「ヴァウ!ヴァウ!ヴァウ!ヴァウ!」

どこからともなく聞こえてくる仲間の声。おいらにはそれが仲間の発する危険信号だとすぐ判った。危険が迫ったときのおいら達が上げるどうにもならない心からの叫び。

「ハヤクニゲロ!タイヘンダ、ハヤクニゲロ!」

「おかあさん。アルが吠えてるよ。」

心配そうな少女の声。

「まだ五時半じゃない・・・」

眠たそうな母親らしい声。

「私、散歩に連れて行ってくる!」

母親が止めるのも聞かず、もそもそ起き上がり、着替え、玄関に立つ音。

「マフラー巻いた?暗いから気をつけなさいよ・・」

「うん。大丈夫!」

ガラガラと開き戸を開ける音が聞こえ、少女の足音が何歩も進まぬうちに、「それ」は起こった。

大地が・・荒ぶる胎動を始め、空気を揺さぶる。

おいらの感覚器官は瞬間的に麻痺し、本能は怯える。

この世の終わりが来たように・・・大地が揺れる!吼える!

人は・・それを後に「阪神・淡路大震災」と名付けた。

時に1995年1月17日午前5時46分。

「おかあさん!おかあさん!」

少女の甲高い泣き叫び声が聞こえる。

おいらは、どこからか少女と大きなゴールデンレトリバーが倒壊した家の前になす術もなく立ちつくしているのを見ていた。

まわり中が、粉塵と奇妙な静けさに包まれていた。

夜がそろそろ終わり、いつもの朝の喧騒が始まる時間。

しかし、ここではその気配すら全くない。

あるのは非現実的なつぶれた家々と歪んだビル群。そして言葉も出ずに茫然とそれらを見つめる人々の影。

どのくらいの時間が過ぎたろうか?

少女の周りにぽつんぽつんと影が寄ってきた。

「まあまあ!よく無事で・・・」

「おかあさんが!おかあさんがあの中に!助けて!おばちゃん、助けて!」

「ええ!」

「くそ!わしらではどうにもならん。救急車!救急車はどうしたんや?」

「救急車も消防車も警察も誰も来てくれへんよ!わてらでどうにかせんと・・・」

突然、少女は決心したように瓦礫の山に向かっていった。

瓦や壁の破片を一個一個小さな掌で除けていく。

「あぶない。崩れるで。あきらめり。」

おずおずと声をかける近所の人々は、ハッとしてその場に凍りつく。

振り向いた少女の突き動かすような瞳の強さ。そこに込められた決意の固さ。

大人達は痺れた視線で少女を見ていたが、やがて弾かれたように動き出した。

「よっしゃ、スコップ持ってきたで。みんなでなんとかしよ。大丈夫や!大丈夫や!」

強いて陽気に声をかけ、瓦礫をどかそうと集まった人々はかって家のあった跡に取り付いた。

ゴールデンレトリバーは鼻を上に向け、匂いをしきりに嗅ぎ、玄関だった跡をうろうろするとそこから少し入ったところをしきりに掘ろうとしだした。少女が最初に気付き、急いで手伝う。

とても全部の瓦礫を取り除く事は出来ない。少しでも可能性のある場所を探さないと・・。

少女の掌が何かを触った。それは・・・。

「あかん!火がこっちに向かってきよる。急いで逃げるんや!」

どこからか老人の声。

「さ、あっちに行こ!」

どこかのおばさんの手が少女の肩をつかむ。

「いや!おかあさんがここにいるの!ここに!」

「ワガママ言わんと!」

少女は必死に瓦礫を退かそうとする。しかし、やっと現れたそれは・・

大人の女性の手だった。

「おかあさん!!」

おいらには判る。そこから発せられる匂い。

警察犬時代何度となく嗅いだ匂い。生きた人間から発せられることは決してない匂い。

死臭。

「おかあさん!おかあさん!おかあさん!」

少女の血を吐くような叫び声と火事の強烈な熱風。煙と炎の匂いの渦の中。火明かりに照らされ、涙で顔をびしょぬれにする少女の横顔。

それは・・確かに・・確かに・・幼い津村沙世子だった。

「おかあさん!」

ガバっとタオルケットを跳ね除けて、沙世子はジットリと汗にまみれた体を起こした。

ハァハァと息を乱し、汗を吸い込んだ長い髪をベットリと額に張り付かせた彼女はいつもの冷静で優しく美しい姿ではない。胸の奥に鍵を掛け、思い出すまいと心に誓っていたものを気取られた暗い、打ちのめされた一人の少女。

おいらはまだぼっとしている彼女の顔を舐めながら、涙と汗と共にその残った暗い悲しみを拭き取ってやれたらと思った。おいらをゆっくりと抱きしめた彼女は

「夢を見たわ。昔の夢。あ〜ると出会う前の夢・・・」

と、ぼんやりつぶやく。

涙が再び頬をゆっくりと伝わっていった。

雨は再び激しさを増し、ドドドドっとドラムのようなリズムを屋根に刻む。

おいら達は再びまどろみの中で夢の世界に落ちていった。

「なんであの時、家にいなかったのよ!」

日本刀で切りつけるように冷たい非難の声が聞こえてきた。

おいらに背を向け、目の前に立っているのは、肩幅が広くがっしりした男の背中。

燃え立つような瞳で男を見上げ、にらんでいるのは真紀さん。今より少しだけ幼い雰囲気が漂う。

「なんで・・なんであの時、姉さんと沙世子と二人だけにしたのよ!あなたさえいればもしかしたら姉さん助かったかもしれないのに・・・」

男の背中が一瞬引きつり、凍りついたように動かなくなる。

「やめて!」

一声。おいらの後ろから沙世子の声がする。追い越し、男の前に庇うようにまだ幼い手を広げて真紀さんをにらむ。

「お父さんをいじめないで!お母さん死んだのはお父さんのせいじゃない!」

うなだれる真紀さん。

「判ってるわ。そんなこと。私にも・・・。でも、でも、じゃあ何の為に姉さんは生きてきたの?何の為に?」

「やめなさい!真紀。そんなこと沙世子に言っても答えられるわけないでしょう・・」

悲しみに沈んだ七瀬さんの声。

流れる読経の声。そこここで話されるひそひそ声。それらが指差す先にじっと座ったままの男の背中と沙世子。そして大きな犬。

場面は替わって岬市のゆりえさんの家。子犬のおいらがいる。沙世子とおいら。犬のアルフォンス。一人と二匹。日がな一日、何をするでもなくただ遊んでいたあの頃。おいらは知らなかった。あの時沙世子は一日の大半を泣きながら過ごしていたことに。

また場面が替わって大きな背中の男と沙世子。二人っきりで食卓を囲む日々。沙世子はやっとまた笑うようになっていた。学校の事を楽しそうに話す沙世子。母親の想い出の芝居の事を懐かしそうに話す男。

ある夜、男は告げる。再婚すると・・・。

アルフォンス・・・大きな犬はこの世を去り、そして沙世子はなにも信じられなくなった。大きな厚い殻の中で過ごす日々。気に病んだ両親の祖母の申し出で転校する事になってやって来た岬市。

フラッシュバックで蘇る想い出。六番目の小夜子の物語。出会いそして別れ。

気がつけば、沙世子は身を起こし、じっと雨音に聞き入っていた。

「小夜子かぁ・・・」

誰にともなく囁く。

「心が・・・軽くなった気がする。」

おいらは起き上がると彼女の傍らに寄り添い頬を舐める。

「こらぁ。だめでしょぉ」

弱く叱ると、彼女は少し微笑んだ。

「楽になったよ。あ〜る。また元気になるからね。」

「ぐ〜る!」

喉を鳴らすおいら。

軽やかに雨音をついて真紀さんのペイルローズマイカのVitzのエンジン音が聞こえてきた。

窓の外の紫陽花の花が散りかけている。

雨音も弱まってきた。

梅雨明けはもうすぐそこだ。暑い夏が始まる・・・。

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 この作品はTV版『六番目の小夜子』から発想を得た二次創作作品です。
著作権はこれら作品の作者にあります。無断転載・複製・再配布などは行わないでください。

 

 

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