15.山鹿灯籠

 

第1章

 

この旅行を計画したときから、おいらは競技会後休養期間として緒方家の土間に居候する事になっていた。

帰りは沙世子達と一緒に羽田からご主人に迎えに来てもらうつもり。

朝、ユキカゼと共に聖さんの訓練を受け(聖さん、実は犬の訓練士としても勉強中らしい)後はひんやりしたコンクリートの土間でボーッとしている。

その間、沙世子と玲は夏休みの宿題と格闘中(主に玲)。

小夜子の台本なるモノも着々と進行中らしい。

なんといってもここは図書館並の蔵書があり、調べるには事欠かないし、元教師が二人もいるので話は早い。

あれからユキカゼとは突っ込んだ話もせず、なんとなくお互い避けあっている。

 

二日目の夕食後、玲がふと思い出したようにつぶやいた。

「そういえば、津村さんのお母さん。今年は里帰りしないの?折角みんな揃ってるのに。」

気まずい雰囲気が一瞬漂う。硬い表情で玲おばあちゃんが口を開く。

「玲ちゃん。あのね・・」

 

ユキカゼが猛烈な声で吠え始めた。

一瞬遅れておいらの匂いと音のセンサーも反応する。

幼い女の子の匂いと

「ズズッ。ズズッ」

という地面を引きずる足音と今にも消え入りそうな生命の灯火の匂い。

おいらの警戒レベルが一気に上がる。

「ヴァフ!」

「あ〜る、どうしたの?」

ただならぬ鳴き声に驚いたように七瀬さんと沙世子、席を立ってこちらにやってくる。

土間と台所は壁を隔ててすぐだから、おいらが吠え立てている方向を見てくれる筈。

早く気づけ!

まず沙世子が気づく。

「おばさん!あれ!」

裸足のまま玄関に飛び出し、ガラッと戸を引き開ける。

「ミキちゃん!!どぎゃんしたと?!」

近くの家の子らしい。

7つか8つの女の子がぐったりと倒れている。

玄関先まで這ってきて力尽きたのだろう。

顔色は青白く、意識が朦朧としているようだ。

「おばちゃん、おかあちゃんが・・・」

「真紀!」

真紀さん家の奥から鞄をひっつかんで飛び出してくる。

「姉さん、水!早く!」

水を飲ませ、強引に吐かせると脈を取り聴診器を当てる。

「すぐ、救急車呼んで!この子の家は何処?何を飲んだか確かめに行かなきゃ処置の仕方もわかりゃしない!」

「母さん!七瀬!ミキちゃん見てて。真紀、俺が案内する。沙世子、あ〜る連れてこい!ユキカゼ出るぞ!父さん、救急車の手配と後藤の家に電話してみて!」

聖さんの指示で全員が一斉に動き出す。

玲は沙世子やおいら達と一緒に外に飛び出す。

「玲ちゃん、危ないから家に戻っていろ!」

「津村さんと一緒に行きます!」

玲、珍しく強気に言い張る。

聖さんも時間が惜しいらしく、町道を走る。

200m程離れた農家が倒れた女の子の家らしい。

「後藤!典太!おるかぁ!」

家の明かりは消え、人の気配は無い。

いや、かすかに人の動く気配が・・

おいらとユキカゼが飛び込む。

茶の間に倒れている人影が3人。

「典太!」

聖さん、この屋の主であろう名を呼ぶが応答なし。

「こっちにも救急車要るわね。ん?これは?」

真紀さんはもう冷静になって周りを見まわし、転がっている瓶を見つける。

「やだ、こんな毒性の強い農薬。おまけに睡眠薬まで!兄さん手伝って!早く吐かせないと・・」

「沙世子、ウチに電話してこっちにも救急車!それと父さんよこして!」

おじいちゃん気を利かせてのっそり姿を現す。

「こらぁ、大変!」

救急車と警察、町の消防団を呼ぶ電話中、玲&沙世子も真紀さんを手伝う。

胃の中の物を吐かせ終わると、意識を取り戻した奥さんであろう女の人に事情を聞く。

「典太は?」

「別のところで死ぬって・・・」

弱々しく答える声を最後まで聞かず、聖さん

「あんっバカがぁ」

部屋を見回し、帽子を手に取ると、

「ユキカゼ、探せ!」

と追跡命令を下す。

「沙世子も手伝ってくれ!」

「わかった。」

出る前に着替えたであろう衣類を持つと、おいらに

「あ〜る。嗅げ。」

 

おいら達は十分匂いの特徴を覚えると探索に乗り出す。

しかし、家の中には同じ匂いが満ちあふれ、どれが新しいかなかなか判別できない。

おいらは玄関から裏の牛舎の方へ、ユキカゼは町道に向かって別々のルートを探索する。

ユキカゼが何か見つけたようだ。

猛然とダッシュする。

おいらも牛舎の裏から外の町道に伸びた道を見つけてダッシュ。

匂いの主を乗せた一台の軽トラックがフラフラと出ていこうとしていた。

ユキカゼが正面から運転席に飛びかかる!

無茶だ!

おいらは全速力で追いつくとユキカゼに

「窓から、窓から行け!」

と指示し、奴が飛びかかる反対側の窓に向けて助走をつける。

左右方向から窓に向けて同時に攻撃するのだ。

古い旧式の軽トラは暑さのため両方の窓とも全開状態だ。

「今だ!」

おいら達は同時に運転席に飛び込んだ。

一度に二頭の警察犬に開いた窓から襲われ、驚いたのかハンドルを切りそこね、軽トラックは近くのブロック塀にぶつかりやっと止まった。

ユキカゼは衝突の時、外に跳ね飛ばされたのか、外から威嚇の吠え声をあげる。

おいらは犯人の横で吠えながら、ユキカゼが外に跳ね飛ばされたときにやったのか足を引きずっている事に気づいた。

「典太ぁ!」

聖さん、凄い形相で追ってきた。

「このぉバカがぁ!!!」

拳骨が宙を舞い、犯人が仰け反る。

おいら達の威嚇の咆吼は沙世子が追い付き、やめる命令が下りるまで続いた。

 

「結局、借金かぁ・・・」

真夜中近く。

付近の家々全てを巻き込んだ大騒動の後、聖さん警察から帰ってくるとドサッと疲れた顔でソファに腰を下ろす。

「農協の他にも街金からも金ば借りとって・・返済のめどが立たんけんて・・バカが・・・」

「なんで借金なんて・・」

と玲。

沙世子もまだ起きていて、怪我したユキカゼの看病に忙しい。

ユキカゼの怪我は以外と重かった。

前足の骨折とタイヤとアスファルトに挟まれた腹部の擦り傷。

全治まで2週間以上だろう。

今夜からおいらと一緒に母屋泊まりだ。

 

「玲ちゃん。現代農業は機械化農業が主流だ。トラクタやコンバインなんかの機械がなければ省力化して高い収穫をあげることは出来ない。しかし、機械化は金がかかる。いきおい借金する。しかし農業は天候に左右される。市場へ出すタイミングで価格に差がつく。一歩舵取りを間違うと雪だるま式に借金が増えるんだ。叔父さんの仲間では数千万単位の借金を抱えてる人だっている。おまけに外国産食物の輸入は日々活発になっていく。需要が下がる。収入が下がる。そしてまた借金する・・・」

「じゃあ、なんで農業を続けるの?」

と沙世子が怒ったように口を挟む。

「さっさとあきらめて、街で別の仕事したらいいじゃない。」

「出来ないのさ。俺達には土地があり、土地の売買には税金がかかる。もう一つ、農業は漁業ほどじゃないがうまく収穫して出荷して売れればまとまった金額になる。それと、、、ちょっと甘いんだが・・・」

聖さん、沙世子達を外の連れ出す。

「聞いてごらん。」

車の音が聞こえない。

代わりに夏虫達が奏でる音。

蛙の鳴き声。

常夜灯に飛んでくる蛾や蝶、カネブンなど虫達の羽音。

遠くでザワザワと葉を揺らす果樹達の音。

それは夏の夜に毎夜繰り返されるシンフォニーのようにそこにいる人間達を包み込む。

空には夏の星座群。

夏草と肥料のむっとする匂い。

空気の密度が自分の周りだけ高い気がしてくる。

「俺はね、こんな環境の中で自然と向き合って仕事をするのが好きなんだ。どんなに苦労してもね。それは判って欲しい。蚊に刺されてもね。」

聖さん、首筋をぴしゃっと叩き、にやっと笑った。

「わっ大変だ・・」

慌てて二人、虫除けスプレー取りに母家に入る。

遠くから車の音が大きくなってくる。

真紀さんの車がライトを眩しく光らせながら敷地の中に入ってきた。

「あ、真紀さん。お帰りなさい!」

玲と沙世子。

吹っ切れたように元気な声。

「ただいま。今日はお疲れさまだったねぇ」

疲れているが、希望に満ちた真紀さんの声。

「真紀さん、お医者さんだったの?」

「そう、言わなかったけ?専門は小児科なんだけどね。あ、姉さん。ミキちゃんもう大丈夫よ。血圧も安定してきたし・・手当が早かったから。他の人達も全員助かるわ。丁度担当が知った先生だったからよく頼んどいた。」

「やった〜」

沙世子と玲、うれしそうにハイタッチ。

「さぁ、夜食は太るけど太ってもいい人?」

「は〜い!」

全員でユニゾン。

どっと笑い声がこだまする。

みんなで七瀬さんが差し出したおにぎりをぱくつく。

「おいし〜い。このおにぎり。」

玲が感動したように言う。

「砂田米といってね。このあたりは田んぼのずっと底が砂地なの。だから水はけがよくておいしいお米がとれるのよ。冷えてもおいしくて、こういうおにぎりやお寿司のシャリに最適なの。それと私の愛情かな?」

「姉さん、そりゃ言い過ぎ」

部屋の中の笑い声を聞き、座の和んだ感じにほっとしながらおいらはユキカゼと向き合う。

 

「どうだい?少しは田舎の犬と街の犬の違いって奴を教えてくれる気になったか?」

と、おいら。

「見ての通りですよ。初めから判ってたじゃないですか・・」

ユキカゼ、ブスッと口を開く。

「犬ってのはなぁ。群れなきゃ犬じゃないんだよ。どんな環境であれ、状況であれ、その時は仲間なんだ。そのことが、おいら達を人間と古代から結びつけてる唯一無二の理由なんだ。人間に従いつつ仲間として、友達として付き合ってやること。同じ犬なら、そいつが外国の犬だろうと、どんな犬種だろうと、けして見捨てないこと。警察犬訓練所でたたき込まれなかったか?主人としての人間と仲間としての人間って。おいらは沙世子や玲やここのウチの仲間達が危険なときはそいつの内蔵食いちぎってやるつもりでいる。あいつら仲間だからな。そんなもんさ。犬ってのは・・」

ユキカゼ眠ったのか、返事がない。

「ま、いいか・・・」

おいらもいいかげん疲れてたんで眠りについた。

 

第2章

翌朝、さすがに昨日の疲れで朝寝坊してる二人。

おいらはユキカゼに気を使ってこっそり抜け出すと聖さんに散歩のおねだり。

帰ってくると、七瀬さんと真紀さんがヒソヒソ話中。

「姉さん、例のこと話さないと不味いわよ。いくら中学生でも気づくって。」

「だって沙世子がどうしても私から話すって・・」

「もぉ、あの子ったらぁ・・頭いいくせに人付き合いとんと駄目なんだからぁ」

「ま、それは津村の家系のせいかもよ・・・」

「おはようございまふ」

玲が寝ぼけまなこで起き出してきて、その話はそれまでになった。

 

「玲ちゃん。沙世子。食事終わったんならお墓参りに行ってこんね?」

玲おばあちゃんが、朝食が終わると言った。

「えぇ、でも、宿題とか朝のうちに済ませてしまいたいし・・・」

珍しく沙世子は行くのを嫌がってそう。

「なにを見え透いた言い訳を言うかぁ。私が連れてったる。」

今日も沙世子に強気の七瀬さん。

「遠いんですか?お墓。」

玲、何も知らずに興味津々。

「裏山を越えれば歩いて10分よ。朝の運動にはもってこい。さ、いこいこ。」

七瀬さん、玲の手を引いてもう家を出ようとしている。

「あん、もう、七瀬叔母さん。私も行くって・・」

沙世子もいやいやながら後を追う。

「よっしゃ。二人とも長袖と長パンに着替えてきな。それとこれ被ってね。日差しが強いから。」

と大きな麦わら帽子を手渡す。

 

ワシャワシャと蝉の鳴き声がシャワーのように降り注ぐ。

カァッと夏の日差しが照りつける。

裏山への石段を登りながら雑木林の中に足を踏み入れると、徐々に日差しは周りの木々の葉にカットされ、そこには緑のカーテンを引いたような空間が現れる。

ムッとする夏の空気がこんな所まで忍び込んでくるが、それでも今まで炎天下にいた時よりも格段に涼しい。

所々でコオロギやクサキリが鳴き、夏がいつまでも続くわけではないことに気づく。

おいらは一行を先導しつつ、この自然を堪能している。

やはりアスファルトの上を走るよりおいらにはこんな道が歩きやすい。

第一足が熱くない。

「あ〜る、楽しそうだね。津村さん」

と笑う玲もうれしそうだ。

対照的にあんまりおもしろくなさそうな沙世子。

何でだろう?

石段を登り終えると道は平坦になり、だらだらと林の中を這うように続く。

急に視界が開けるとそこには小さな駐車場と整然と並んだ石碑が並ぶ墓地が出現する。

「20年ほど前に駐車場とお墓をリニューアルしたのよ。前は雑然としてお化けが出そうだったけど、今ではお年寄りは表から車で登ってこれるわ。」

見通しも開けて丘の上から盆地のパノラマがかわいらしく見える。

視界には小さく川がうねうねと這い、一面緑の絨毯のような田んぼ。

所々にビニールハウスが土地を覆い、その向こうには温泉ドームと天守閣が建っているのが見えた。

「ここからの眺め。姉さん好きでね。」

なぜか寂しそうに七瀬さんが笑う。

「さぁ、お墓のお掃除よ!」

周りの草を刈り、墓石に付いた苔を拭う。

用意してきたタオルはすぐ緑色に変色した。

対照的に墓石は大理石(御影石)の輝きを取り戻す。

線香に火を付け、庭から持ってきた百合の花を手向け、何気なく玲が石碑の右側、葬られた人々の名前を彫った石版に目を向けたとき。

 

玲の動きが止まった。

おいらの視線もそこに、玲が吸い寄せられた場所に向かう。

順に並ぶ故人の名字が緒方の者だけだが、一番端に一人だけ違う名字が彫り込んである。

 

津村・・・・。

 

「まさか・・・・」

玲がやっと唇を開いた、その時。

「ポーン」

心地よいA=440Hzの音が辺りに流れる。

七瀬さんが音叉を叩いたのだ。

しばらくハミングで自分の音を合わせた後、一瞬間を置き歌い出した。

曲は
「アメイジング・グレイス」

 Amazing grace, how sweet the sound
アメイジング・グレイス、その素晴らしき響き

That saved a wretch like me
私のような者にまで救いの手を差し伸べる

I once was lost, but now I'm found
罪深きさまよい子だった私は今はおそばに

Was blind, but now I see
盲いていた目は今や見える様に

 

'Twas grace that taught my heart to fear
大いなる愛が畏れ敬うことを悟し

And grace my fears relieved
また無益な恐れから解き放ってくれた

How precious did that grace appear?
信じる事を始めたその瞬間に

The hour I first believed
尊い愛は私を包み込んでくれた

 

Through many dangers, toils, and snares
数多くの危難や苦しみ誘惑から

I have already come
この愛が私をここまで導き

'Tis grace have brought me safe thus far
そうしてその愛の力で

And grace will lead me home
私を故郷へと導き給う

 

<訳:Koko田代 白鳥恵美子「Amazing grace」より>

 

初めはささやくように、途中で感情が龍のように大きくうねり、最後は消え入るように、七瀬さんの歌は続いた。

歌い終わった後の静寂。

暑さは感じることなくおいら達の周りを素通りし、静寂だけが、いや、ワシャワシャとうるさいほどの蝉の声や虫の音は感じることは出来るのだが、それらを圧倒するほどの「静寂感」がみんなを包み込み、おいらでさえ一歩も動けない。

やっとおいらが沙世子の側まで寄り、彼女の足に顔をこすりつける。

「ありがとう、あ〜る」

硬い表情の沙世子。

玲は振り向くと茫然として沙世子の目を見つめる。

「津村さんのお母さんってもしかして・・・」

アーモンドアイ。一度閉じると決心したように

「そう。五年前に。」

「なんで。なんで言ってくれなかったの?」

玲、目に一杯涙を貯めて。

「言おうと思った。でも、何となく言いそびれちゃって・・でも、父が再婚して両親居るのは本当だし・・なんとなく・・。ごめんね。びっくりさせちゃって。」

「そうじゃない。そうじゃないんだよぉ。津村さん。そうじゃない。」

 

「たとえ、お母さんが亡くなったって、津村さんにとってここは故郷なんだよ。おじいちゃんがいておばあちゃんがいて、七瀬さんや聖さんや真紀さんがいて、川があって丘があって・・沢山の思い出があって・・ごめんねなんて謝らないで。私には故郷って言えるものはまだないけど、津村さんにはあるじゃない。私うまく言えないけど、ここは津村さんの故郷なんだよ!」

 

一陣の風が丘の下から吹き上げてきた。

竹林と雑木林を抜け、ザワザワと木々の梢を揺らしながら玲と沙世子にめがけて一気にかけ登る。

熱風かと思いきや、その風は涼風となって玲と沙世子を爽やかに包み込んだ。

沙世子達の周りを名残惜しそうに回った風は丘を抜けると吹いてきた時と同じように唐突に止んだ。

「津村さん。見て!」

風が去った後の墓の前にはサルビアの赤い花が一房。

まるで添えられたように百合の花と並んで落ちていた。

「私の・・故郷。」

噛み締めるように沙世子つぶやく。

 

「沙世子、玲ちゃん。ちょっとおいで。」

墓地から帰ると玲おばあちゃんの声が響く。

「ほら、どうかしら?あなた達に」

「わ、浴衣だぁ。」

「きれいねぇ」

「沙世子がお友達連れて来るって聞いたけん。縫い直してみたんだけど気に入った?」

「じゃあこの浴衣は?」

「そう、あなたのお母さんの若いとき着てたもんよ。って言っても七瀬や真紀も袖通してたけどね。」

ぺろっと玲おばあちゃん舌を出す。

「ウチは三姉妹でね。この子の母親、七瀬、真紀でしょ。着物とか使い回しが出来るもんはリサイクルしないとね。」

「え、でも、なんか悪いっつーか。津村さんのお母さんの物を・・」

玲、神妙な声。

「いえ、もし潮田さんさえ良かったら着てちょうだい。私はかまわないわ。」

沙世子、暖かな声で玲に言う。

その声は先ほど墓地で話していた時とは別人のようだ。

「あ、じゃあ。でも、本当にいいの?私なんかで。」

「この人付き合い下手の変人に気に入られたって事だけで十分もらうに値すると思うよ。あたしゃ」

「これ、七瀬。」

「へいへい、玲ちゃん。メロンと西瓜とどっちがいい?」

「どっちも!って欲張りですかぁ?」

「よっしゃ。気に入った。その代わり手伝いお願い。こっち来て」

「はい!」

玲が出ていくと、おばあちゃん。ぽつりと

「変わってきたよね。沙世子も」

「えっ?」

「前の沙世子だったら、玲ちゃんって一番苦手なタイプじゃなかったっけ?本当のことズバズバ言うし、人に好かれる本質的な物を持っているし」

「そうだね。その通りだよ。おばあちゃん。でも、潮田さんが持っているのはそれだけじゃないよ。まっすぐで、元気で、明るくて・・・」

「今のお母さんみたいな・・?」

「いいじゃない・・今の母さんのことは・・」

沙世子の声が殻に籠もる。

おばあちゃん、話題を変えて、

「今夜は山鹿灯籠祭りの千人踊りだけん。この浴衣着て見に行ったら?七瀬に言うとくから」

「あら、おばあちゃんは行かないの?」

「あんな人出の中に引っ張って行かないで!それに今夜は婦人会があるのよ。副会長としては抜ける訳にはいかないんでございます。」

二人の笑い声が聞こえる。

 

台所で、玲と七瀬さん。

「そうかぁ。玲ちゃん動物好きなんだぁ」

「はい、特に大型の動物って好きなんですよ。だから犬で言うとあ〜るとかユキカゼとか牛とか馬とか・・パンダとか」

「そのうちハ虫類入ってきて・・」

「ワニとか蛇とか・・?」

「沙世子があと30cm大きかったらもっと気に入ってたとか?」

「それはちっと・・」

「呼んだ?」

二人大笑い。沙世子キョトンとしながら

「なによぉ。二人ともぉ」

 

第3章

「うわぁ、凄い人出!」

山鹿小学校のグラウンドで玲と沙世子、人混みに埋まりそうになりながら、七瀬さんを捜す。

おいらも人に押しつぶされそう・・。

「見失うなよぉ!」

七瀬さんの萌葱色の着物が人混みに見え隠れする。

「こっちこっち、玲ちゃん!沙世子!」

なんとか3人分の場所を確保すると、あとはおいらの力(ていうか、こんな人混みに犬のおいらを連れてきて良いのかぁ?一応口輪とハーネスはしっかり付けてもらってるが・・)で少しづつスペースを広げていく。

「人が多いねえ、今年はいつになく。」

「ここが山鹿灯籠踊りの会場なんですか?七瀬さん。」

「そうよ。もうすぐたいまつ行列がやってきて千人灯籠踊りが始まるわ、ほらもう踊りの女の人達スタンバイしてる。」

「わ、きれい。あの頭に乗ってるのが灯籠?提灯みたいなもの?」

「金灯籠っていうの。木や金具を使わない手すき和紙とのりだけで作られる灯籠のことよ。中は空洞になっていて豆電球で明かりが灯るの。」

沙世子が説明する。

「昔は山鹿市内の女性しか踊れなかったのよ。この千人灯籠踊りは。でも最近は人が足らなくて熊本市内や近くの町から募集してるわ。なんてったって女性が主役ですもんね。この踊りは・・」

金灯籠をかぶった女性達がよへほ節の音楽に合わせてゆっくりと優雅に舞い始めた。

それは、大きな蝶が羽を拡げる仕草とも白鳥が今しも飛び立つ前の動作とも見てとれる。

たおやかに、しなやかに幻想的な時間が過ぎてゆく。

 

1. 主は山鹿の骨なし灯籠 ヨヘホ ヨヘホ

  骨もなければ肉もなし ヨヘホ ヨヘホ

2. 心あらせの蛍の頃に ヨヘホ ヨヘホ

  とけし思いのしのび歌よ ヨヘホ ヨヘホ

3. 洗いすすぎも鼓の湯かごよ ヨヘホ ヨヘホ

  山鹿千軒たらいなし ヨヘホ ヨヘホ

4. 山鹿灯ろうは夜明かし祭り ヨヘホ ヨヘホ

  町は火の海人の波 ヨヘホ ヨヘホ

5. 裏の山椒の木こしょどんが嫁入る ヨヘホ ヨヘホ

  からし神立ち鼻はじく ヨヘホ ヨヘホ     

(よへほ節 昭和8年 作詞:野口雨情)

 

「きれい。」

魅せられたように踊りを見ていた玲。

ぽつんと呟く。

「まぁや秋や溝口達にも見せてあげたかったなぁ。なんか、この世のものとは思えない感じがしない?津村さん。」

沙世子、決心したように話し出す。

「潮田さん。今日の話の続きだけど・・・」

「いいよ。話したくなければ、話さなくても。」

「今、話さないといけないと思う。私。」

アーモンドアイ。眩く光る。

「母はね。東京の大学の劇団で父と出会ったの。卒業すると人形劇団に入って地方巡業の毎日だったわ。そんな中で父と母は結婚。私は物心着いた頃から色々な街を転々として来たの。犬のアルフォンスだけを友達にね。やっと神戸に腰を落ち着けようとした矢先、あの阪神大震災。母はその時に・・・。その後、私は今住んでいるおばあちゃんの家に半年ほど預けられたの。やっと神戸に帰ってきたら、父と母がいた劇団も亡くなってしまっていて・・・。その後、父は劇団をやめて違う仕事に就いたわ。そこで今の母と再婚。今年に入って東京に転勤になって、今の母も一緒に神戸を引き払って東京に、私は岬市の祖母の家に・・ってわけ。」

「ありがとう・・・津村さん。話してくれて。でも、もういいんだ。」

怪訝そうな沙世子に

「私ね。ずっと前、ほらカトが入院した頃。津村さんの家まで追いかけて行ったことあったんだよぉ。そしたら、ゆりえさんに見つかっちってさ・・・。初めは私も秋も津村さんのこと2代目小夜子の生まれ変わりかなんかだと思ってた。でも、黒川先生に『お前たちが知ってるのはそれだけか?現実の津村について、他には何もしらんのか?』って言われて気付いたんだ。現実の、今私の前にいる津村さんは、幽霊でも亡霊でもサイキックでもない。只の転校生で芝居好きでちょっと変わり者の津村沙世子。さっきも言ったように、ここは津村さんの故郷(ふるさと)だと私は思う。それでいいじゃない?」

そう言ってにっこり笑って頷く玲。

沙世子の肩の力がふっと抜け、殻に籠もっていた声が明るくなる。

「そっかぁ。故郷(ふるさと)かぁ」

初めて聞いた言葉のように何度も繰り返す沙世子の心から、また一枚殻がはがれ落ちたようにおいらは感じた。

「あ、でもちょっと変わり者はよけいだと思うけどぉ!」

「はは、気付いた?!」

「もぉ!」

じゃれ合う二人。

 

静かに始まった灯の祭りは静かに続いている。

おいらは、二人が出会ってからのことを思い出し合っているように感じられて、その場に居合わせた事に誇りを感じながら、いつまでも見守っていた。

いつの間にか二人が頭に灯籠を乗せ、踊りの輪に加わっている姿と思い描きながら・・・。

 

翌日、おいら達は空港に向かった。

夏休みのちょっとした冒険旅行も、もうおしまい。

 

挨拶を済ませ、空港に行く七瀬さんのレガシィに乗り込み、走り始めたとき、突然ユキカゼが遠吠えを始めた。

おいら達にしか通じない魔法の暗号。

そう、おいら達は人間とは主従関係でもあるけど、仲間でもあるんだ。

都会だの田舎だの気にするんじゃない。

生きてる場所が全てなんだ。

そいつを忘れるなよ。

ユキカゼ。

 

その後、聖さんと七瀬さん夫妻は今でも積極的に農業をやっている。

インターネット販売とかも手がけているが、玲が母親に話したのかすぐに岬市に共同購入の販路が開けたそうだ。

おみやげのカブトムシも弟の耕のステータスアップに役立った模様。

真紀さんは小児科の医師として飛び回っている。

玲おばあちゃんはお茶目な目をくりくりさせて町に図書館を!と運動して回っている。

おじいちゃんのパチンコ好きも続いている。

最近は勝っているのだろうか?

 

ただ一つ変わったことがある。

それは自殺未遂の後藤さんの娘さん、ミキちゃんを聖さんと七瀬さん夫妻が養子に迎えたことだ。

 

熊本の田舎町はまたいつもの静けさを取り戻した。

田んぼと丘と緑の中に人々の日々の暮らしを優しく包み込みながら・・・・。

 

そして、旅から帰ってきたおいら達を迎えたのは後に「恐怖の文化祭」と呼ばれた小夜子伝説史上最大の事件だった。

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この作品はTV版『六番目の小夜子』から発想を得た二次創作作品です。
著作権はこれら作品の作者にあります。無断転載・複製・再配布などは行わないでください。

 

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