5.堅い殻
新学期が始まると、さすがに彼女と毎朝散歩に行く訳にもいかなくなり、毎朝挨拶を交わす程度の付き合いが1週間ほど続いた。 ただ、心配だったのは彼女の匂いから苛立ちの思いが日に日に増していったこと。 何に対してなのか、また誰に対してなのかは判らなかったが、おいらはそんな彼女を見守るしかなかった。
ある日曜の午後、ゆりえさんがおいらのご主人と学校に呼ばれた話をしている。 おいらは狸寝入りで耳をそばだてた。 周りは午後のお茶の時刻だ。 「ほんとうにねぇ。ゆりえさん所のお孫さんは頭もいいし、美人だし、器量も良いし、なにもいうことないじゃありませんか。」 「それがねぇ。あれで寂しがりやで一人で苦労背負い込んじゃうところがあって。本当の友達が出来ないんですよ。いつも一人。前はほら、アルフォンスがいたでしょう?でもあの子が死んでからはすっかり自分の殻に閉じこもっちゃって。転校が多かったから、それなりにお友達は多いみたいなんですけどねぇ。それで、両親も心配してこっちの中学にしばらく通わせてみたらって。前の職場だから、なにかと話がしやすいと思ったらしくて。でも、現場を離れて何年ってなるんで知り合いが少なくて・・。黒川君は私の最後の教え子で、なにかと気を使ってくれてて。転校早々色々やらかしちゃったみたいなんですよぉ。」
その夜、おいらは不思議な叫び声を耳にした。 恐怖の叫び声。おいら達が喧嘩に負けたときの敗北の声だ。 しかし、その声にはどことなく安心したような、解放されたような響きが込められていたようにおいらには感じられた。
季節は春から初夏へ徐々に色合いを変えつつあった。 校庭の桜もすっかり葉桜になり緑が青々と萌える色合いに変化していく。 風の匂いも今までより一層生命力が感じられるようになっていった。
ある日の夕方。 おいらは散歩中に彼女が公園で男の子と話しているのを聞いた。 小学生のようだ。 不思議なことにその時の彼女の声はおいら達に対するように優しく落ち着いて聞こえた。 「お願いがあるの。この花束をそこの病院に届けてくれないかしら?私が行ったらその人また発作起こしちゃうかもしれないから・・・」
「小夜子ってなんなんだろう。そんなに大事なことなの?」
彼女が唐突に喋り出す。 日曜日。 公園。 もうすぐ日が暮れようとしている。 人出の多さから彼女は引き綱を短めにして、おいらの行動範囲を狭めて巧みに進路をリードしている。 散歩とは言いながら、おいら達には飼い主との連携行動の重要な訓練の場なのだ。 もの問いたげに顔を上げると彼女の顔が見えた。 すゞやかなアーモンドアイ。 すっと伸びた鼻。 やや厚めだが形の良い唇。 そして綺麗な曲線を描く顎。 当然周りからの視線がおいら達を包むのだが、彼女はそんな視線には知ってか知らずか無頓着だ。
「加藤君。悪いことしちゃったなぁ・・まさかあんなに驚いて喘息の発作起こしちゃうなんて。」 「私、呼ばれたんじゃない。自分の意志でここに来たんだ。本当は・・・でも・・・」 「小夜子。私が諦めさえすれば・・・」
おいらは聞くとはなしに聞きながら、最近の彼女の原因不明の苛立ちがそんなところから起きていることを知った。 多分彼女の存在そのものがあってはならないもののように解釈されて、誤解を生んでいるのだろう。 理解されない悔しさ。 言っても無駄だとは知りつつ胸の奥に秘めていれば、いずれそれは澱のように溜まっていく。心が痛くなってゆく。
「あ〜る。私のクラスにね。潮田玲って女の子がいるの。」
打って変わって明るい声。 「彼女ね。おかしいんだ。私に対抗心あるんだけど、それより先に好奇心が先にあるような気がする。あんなこと初めて。剥き出しなのよ。なにもかも。あぶなっかしいほど。」 「ペースなのかな?あの子の。自分では意識してないんだろうけど。自分のペースに引き込んでみんなをやる気にさせる。私には出来ないなぁ」 殆ど独り言モードに入った彼女。彼女の心の殻がほんのわずか剥がれたのを感じた。
ゴールデンウィーク。初夏への扉はすぐそこまで来ていた・・・
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この作品はTV版『六番目の小夜子』から発想を得た二次創作作品です。
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