〜6.扉を開いたその跡で〜
地震から十日後。 岬市立西浜中学校。 朝霧に包まれて。
おいらと沙世子は友情の碑の前にたたずんでいた。 木枯らしが冬の訪れを告げ、おいらの体毛は冬毛に生え替わりつつある。 げっそりとやつれはてた沙世子。 髪の毛はバサバサ。 頬がこそげ、目は落ちくぼみ、半病人のような表情をしている。 今、肩越しに振り向いたらホラー映画の亡霊役でさえ裸足で逃げ出すだろう。
現場での行方不明者捜索活動は昨日で一応終了した。 後は、震災後の復旧活動にみんなの活動重点が移る。 おいら達は今日行われる慰霊祭に出席することなく、熊本に引き上げる予定だ。 これからの復旧活動の大変さを思うと、サヨコの背後に控えるおいらでさえ胸が痛む。 そして亡くなった犠牲者の方々のことを思うと・・。
二日前。 また一人の犠牲者を探し出した。 大学に通う、彼女と同い年の女性。 下宿だった、アパートの跡。 ベットの下。 彼女は、潰れたベットと床の間で何日間かは・・何時間かは生きていた。 かすかに動く指でベットの木製の足に血で綴った彼女の遺言。 「生きたい・・助けて。」
彼女は、ぎゅうっと拳を握りしめる。 おいらの引き綱を握りつぶすように。
何人の死に立ち会えば、何人の人々の悲しみに立ち会えば、この悔しさは我慢出来るのだろう? そんな日は決して来はしない。 いや、来てはいけない。 この悔しさを忘れる日が来たら・・私は私でなくなってしまう。生きていく価値さえなくなってしまう。 彼女の背中は語り続ける。 細い肩が細かく震え出した。
ちょっと前までは、悔しさ、悲しさに私は背を向けてきた。 悔しくても、悲しくても。 それらの感情にちゃんと向かい合おうとしていなかった。 それは・・幾度も転校を重ねてきた末の自己防衛本能だったのだろう。 「亡霊みたいなもの」 当時の自分を評した自己最悪の表現。 この中学に通った間に、私は生まれて初めて自分と向き合うことが出来た。 幸運だった。 彼女と出会って。 潮田玲。 再び彼女とこの一週間を過ごすことが出来て・・・。
「沙世子・・」 背後から耳慣れた玲の声。 「ごめん・・泣いてた?」 「ううん。いいの。」 鼻をすすりながら、振り向く沙世子。 顔色がさっきまでの死人のような土気色から、ほんの少し紅めいた色へ変化する。 おいらはホッとして、注意を玲と一緒にやってきた匂いの集団に移した。 彼女は一瞬の後、その表情をぱっと華やかせた。 「え・・!」
「津村・・」 「津村さん・・久し振り!」 「黒川先生!佐野先生も!花宮さん?ほんとに?・・」 秋と玲。その後に続く四人の男女。 誰なのだろう? 怪訝そうなおいらの表情に気付いたのか、沙世子がおいらの背中にそっと手を当てながらささやいた。 「中学の時の担任だった黒川先生と佐野美香子先生。同級生だった花宮雅子さん。それに・・」 「津村さん。紹介するわ。私の兄貴。三番目の小夜子だった・・。今はこっちで獣医やってるの。地震で診療所半分ぶっつぶれちゃったけどね。」 くりくりと目をこらしておいらを観察する花宮雅子。 えくぼが何とも愛らしい。 「花宮の兄です。妹が以前大変なご迷惑をおかけしまして・・。ん?ちょっと、失礼します・・」 ぼそぼそと口を開く若い男。 花宮兄はそのままスタスタ近づいてくると、いきなりおいらの体を触りだした。 「ヴ〜」 警告の唸りを発する間もなく、おいらは彼の手練の手管に飲み込まれてしまっていた。 体の触り方が抜群に上手いのだ。 おいら達がどこをどう触ってくれたら気持ちが良いか、よくわかっている。 ついには口の中に手を突っ込まれたり、足の裏や耳の中までのぞかれる始末。 「ふ〜ん。珍しいなぁ。よほどおまえは大事にされてるんだね。普通この年になってくると色々と持病が出てくるモンなんだけど、健康そのものだ。特にシェパードは腰に来るから・・」 ぶつぶつ言いながら、おいらの腰をマッサージしてくれる花宮兄。 あ、そこ気持ちいい・・。
「おにぃちゃん!」 顔をしかめながらも目は笑って、妹の雅子が背中を引っ張る。 「もぉ!動物の事になると見境なくなるんだからぁ・・」 「いいだろう。その為に今日はここに来たんだから。」 「そりゃそうだけど・・」 雅子は沙世子の方を向くと、はにかみながら喋り出した。 「玲がね。連絡くれたの。津村さんが災害救助犬達と助けに来てくれたって。私、今は兄の病院でAHT(アニマル・ヘルス・テクニシャン)の勉強してるの。病院の方の片付けが何とか一段落したんで、今日は助けに来てくれたお礼で災害救助犬達の健康診断に来たってわけ・・。そしたら校門の所で黒川先生達と会っちゃって・・。」 「花宮の兄貴と昨日偶然会ってなぁ。ほら、そこの救護所で。明日津村の陣中見舞いに行くって言うから。」 こちらも少し恥ずかしそうに 「俺も、もう他の学校に転勤してて、そっちの方も大変なんだが、校舎倒壊の件では世話になっているし、ゆりえさんとのこともあってな。どうだ?ゆりえさんの具合は?」 心配そうに容態を聞く黒川 「昨日やっと集中治療室を出たそうです。母方の叔母が付きっきりでいてくれるので、そっちは安心してます。なんとか年末には退院できそうなんですよ。」 「そうか・・よかった。」 ホッとする黒川の声。 「私は今は高校で生物教えてるの。地震が起きてから学校に泊まり込んでたから津村さん来たこと気付かなくて・・。今日、黒川先生が声かけてくれたの。津村さん、ご苦労様でした。ありがとう、助けに来てくれて。」 佐野美香子の声に呼応するかのように 「ありがとう。沙世子」 「お疲れ。津村」 「ご苦労様!」 「ありがとう。本当に、ありがとう津村さん」 口々にねぎらいと感謝の言葉を受ける沙世子。
「みんな・・・」 一旦止まっていた沙世子の涙腺がまたゆるみだした。 「ほ、ほらぁ。やっぱり泣き出しちゃったじゃない。だから私と玲だけでいいって言ったのにぃ!」 雅子が慌てて沙世子の肩を抱きすくめる。 玲もいつもの飛びつき方で背中から。 「もぉ、何企んでるの?あんた達・・」 「企む?企むってなにを?」 「あぁ!中学の時に言ってたよね。そんな台詞・・」
沙世子は感づいている。 『あれ』を見てみんなが集まってくれたことを・・・。 『あれ』 SRS(サイバーレスキュースーツ)のCCDカメラで彼女が送った映像はKSARのサーバを経由し、インターネットで配信されていたのだ。 現場の惨状。 人々の嘆き。 そして彼女が一心に祈る姿がカメラの具合から偶然映し出され、それらが世界中のネットワークを通じて流れ出したのだった。 初めは小さな波だった岬市を、そして彼女を救おうとする人々の想いは、やがて大きなうねりとなって、国や人種、思想を超えた具体的な行動となって動き出した。 国家を超え、肌の色、ものの考え方さえも超えて、人々は我先にとこの小さな島国の小さな半島の小さな市へと救いの手を差し伸べ始めた。 世界中からの支援を受けて、岬市は今、再生の産声をあげようとしているのだ。
マスコミから、今度の震災で人々を救いに導いた女神のような存在に祭り上げられる事を恐れた彼女は、隠れるように今日現場を離れる決心をした。 そのことを聞いた玲と秋が、中学の時彼女が愛した小夜子の伝説にちなんで歴代の小夜子達に声を掛けたのだった。 そして、今日初めて小夜子伝説の登場人物達が顔を会わせたのだ。 この思い出深い友情の碑の前で。 おいらは昨晩こっそりと玲と秋が相談するのを盗み聞きしていた。 それで背後に人の気配を感じたんだが黙ってたのだ。
沙世子達三人が中学生の頃に戻っている間。 おいらは仲間の匂いに注意を移した。 これは? 「二人共!こっちの贈り物はどうするの?」 佐野美香子が持っていたケージを開けるとそこには嗅ぎ覚えがある匂いがした。 「おじちゃん!」 あ、おまえは・・。 「なに?このワンちゃん・・あ、あの時の!」 沙世子の懐かしそうな声。 そう、つい十日前のことだがずっと以前のような気がする。 埋もれた飼い主を必死に掘り出してた子犬だ。 「飼い主の方が病院で亡くなったそうよ。それで遺言で助けてくれた人に、もし良ければ後を頼みますって・・」 「そうだったの・・・」 佐野先生の説明に沙世子の言葉が急に虚ろになる。 「ひとりぼっちになっちゃったんだねぇ。」 優しくチビを抱き上げる。 一瞬にしてチビは沙世子が気に入ったようだ。 クンクン鳴いて甘えだした。 「私のマンションじゃ飼えないし、やっぱこのチビのこれからを考えると沙世子にお願いするのが一番だと思って・・。」 「健康診断と予防注射は僕の方でしておいたから。立派なジャーマンシェパードだよ。まだ小さいけど、きっと信頼できるパートナーになれる。」 「ヴァフ!」 「おっと!お前は別格だ。」 おいらと花宮兄との会話に一同がどっと笑った。
「玲。みんな。ありがとう。じゃ・・もう行くね。」 沙世子は想いを断ち切るように言う。 そう、おいら達は帰らなくてはならない。 おいら達の帰るべき場所はここではないから。 ここには一度開いた扉の跡しか残っていないから。 「津村・・」 今まで黙っていた秋が決心したように話し出した。 「俺、この街に、岬市に戻る。震災で傷を負った人達が立ち直っていく様子を少しでも手助けして、記録していきたい。出来るかどうか、まだ判らないけど・・」 「秋・・」 みるみるうちに玲の顔に笑みが広がっていく。 「私も!」 「玲は自分のしたいことしろ。カナダに行く話はなくなったんだから俺を助けるって理由はなくなった。俺・・俺おまえのこと好きだけど、おまえを拘束することは良くないってことぐらい判るから・・」 「秋・・」 しょぼくれる玲。 顔を赤らめ、そっぽを向く秋。 沙世子は親友の顔をまじまじと見つめた。 「玲。関根君の気持ち。判るよね?私、玲はきっと自分で決心できる女性だと思う。時間はまだあるんだから、ゆっくり考えて・・」 「決めた!」 「え?!」 一同たじろぐ中、玲が宣言する。 「秋。誰がなんと言っても、私、あなたといる!で、災害救助犬のハンドラーにもなる!」 「玲・・」 「潮田・・」 黒川がなかばあきれながらも、頼もしい教え子の宣言に笑みをこぼしながら近づいてくる。 「ここに集まった連中でこの街を、岬市を元のように、いや・・それ以上の美しい街にしていくことを誓おうじゃないか?それが、津村に対する旅立ちの言葉だと思うんだ。」 「はい!」 満面の笑みで黒川の言葉に頷く玲。 秋も諦めたように苦笑いしながら頷く。 花宮兄妹。佐野美香子。そして途中から加わった由起夫。それぞれの想いを込め、頷きあう。 「沙世子」 決意を秘めた強い視線で沙世子に向き直る玲。 「私達待ってる。待ってるから・・。ずっとずっと沙世子の帰り。また来てくれる?この街に・・」 「うん!いつか・・きっと!」 自信を持って答える沙世子。 そう、帰るべき場所は一つじゃない。 今帰るべき所と、いつか帰るべき所と違っていて何が悪い?
「キュィーン!」 校庭が途端に騒がしくなった。 『ひばり』がエンジンを始動したのだ。 「じゃあ!みなさんありがとう!さよなら!」 沙世子はぺこりと頭を下げると、後ろを振り向かずに走り出した。 おいらはチビと共にその後を追う。 「レスキューガール。別れは済んだかい?」 「Thanks!ジョー。さぁ、帰りましょう。」 機内に乗り組むと沙世子はいつもと変わらないように席に着く。 「こちらJA15KM『ひばり』。これより帰投します。」 「『ひばり』。こちら空母キティホーク。お疲れ様でした。本艦もこれより横須賀に帰港しますが、帰りにちょっと艦上を通過して下さい。」 「Roger、キティ。お安いご用だ!」 離陸したひばりは西浜中の上を名残惜しそうに旋回し、数分でキティホーク上空にさしかかった。 「Look!すげえぞ!」 甲板に描かれた人文字。 そこにはこう記されていた。
「Thanks! SAYOKO」
「津村君?」 メディックドクターの中田が心配そうに沙世子をのぞき込み、安心したようにふっと笑みを漏らす。 沙世子。 彼女は、人々からの感謝と賞賛の声も知らず、只眠っていた。 その寝顔は先程までの思いつめた表情はなく、母の胸に抱かれたように安らかだった。
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この作品はTV版『六番目の小夜子』から発想を得た二次創作作品です。
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