「うたごえ喫茶?なにそれ〜」 って思われる方々。きっといらっしゃると思います。 かく言う私もそうでした('_'ゞ−☆
今まで漠然とお客さんと唄を歌うだけの単純な喫茶店くらいにしか思っていなかったんですが、調べてみると日本の労働運動の中心として華やかな時期もあったようです。
1948年頃、新宿で生まれた「うたごえ喫茶」は最盛期には100軒を超え、愛唱歌・平和の歌・労働歌・日本の歌・世界の歌・ロシア民謡等が日本中で歌われていたようです。その後、テレビの普及などによる娯楽の多様化。同時に歌謡曲、フォーク、ロック、テクノ、クラブミュージック等の普及、多様化。労働運動の衰退化。等があって現在では数える程しか残っていません。
しかし、90年代に入って音楽の多様化に伴い、昔懐かしいあの雰囲気をもう一度ということで復活を遂げているお店もあるようです。
当時の雰囲気を伝えるお話として、掲示板「サヨコへの伝言」常連の聖(倉敷)さんより以下のような思い出を語っていただきました。
「歌声喫茶」を語るほどの知識、経験は持ち合わせていないのですが、少しばかりの思い出なら綴れるかと思います。
大学を卒業後、就職のため上京した私は、西武新宿線沿線の独身寮にしばらくの間住んでいた。その頃新宿には「歌声喫茶」なるものが存在していた。
ジャズ喫茶(新宿タカノ)や名曲喫茶(中野クラシック)には時々出かけたものの、ノンポリの私には敷居が高いような気がして、なかなか足を踏み入れられないでいた歌声喫茶であったが、ある日意を決して先輩に連れていってもらうことにした。
当時「山小屋」と「ともしび」という二つの有名な歌声喫茶があったが、我々が入ったのは「ともしび」である。入り口を入るとすぐにガリ版刷りの歌集を購入する。これでコーヒー1杯がサービスだったように記憶している。大きなテーブルでコーヒーを飲みながら雑談をしているうちに時間となり、歌唱指導のお兄さん(お姉さんのこともある)がアコーディオンを抱えて登場する。
「みなさーん、今晩はー!」
やたら元気のいいお兄さんだ。お客も大きな声で「今晩はー」と返事している。
「さー、最初は何を歌おうか」
「泉のほとり!」
「ハイ、それでは15ページ、森のくまさん!」
「おいおい(笑)」
というような掛け合いをしながら歌いすすめて行く。賑やかな歌で景気を付け盛り上がると、観客をいくつかのグループに分け、輪唱したりもする。ひとしきり皆が大声で歌い、ちょっと一休みといった頃合いを見計らって、歌姫(歌のお兄さんのこともある)登場。静かな朗々とした歌声を響かせ、観客が聞き惚れるという構図である。ロシア民謡(すずらん、バイカル湖のほとり、ステンカラージン等)や唱歌(赤とんぼ、もずが枯れ木で、かあさんの歌等)、フォークソング(血まみれの鳩、チューリップのアップリケ、手紙等)が多かった。最後にみんなで合唱できるような「友よ」、「遠い世界に」、「今日の日はさようなら」なんかで締めるというのが典型的なパターンだ。数回通う内にこのパターンが読めてくるのだが、初めてだったので何だかやたら新鮮で、見知らぬ同士が肩組みながら大声で合唱する快感に酔い痴れてしまった
秋口で外は寒いくらいだったのに、皆の熱気で汗まで吹き出すほど体はほてっていた。
「先輩、明日また来ましょう!」
「いや、明日はちょっと・・」
「じゃ、明後日」
「うーん(汗)」
こうして私は「歌声喫茶」の常連と化して行くのであった。
追記
歌の種類(追加)
労働者の歌(がんばろう、インターナショナルの歌、仕事の歌、おいらの空は鉄板だ等)平和・反戦の歌(原爆許すまじ、さとうきび畑等)などもありました。
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